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4月の園だより「桜の季節」🌸

 幼稚園にとって、4月は出会いの季節です。入園式によってあらたに出会う子どもたちを迎え、園の雰囲気は一気に賑やかになります。

入園入学といえば桜の木というイメージがありますが、残念ながら当園には桜の木がありません。そのため、園長からのささやかなお祝いとして、今年は桜の木の苗を鉢植えにして用意することにしました。

 植えた苗は予想に反して花芽が少なく、葉っぱばかりになってしまいましたが、それでも頑張って数えるほどの小さな蕾を付けてくれました。入園式には咲いてくれることを祈りながら、花が咲くことを楽しみにしていたのですが……。


 先日、園庭を歩いていると、ひとりの子が「先生、宝物を見せてあげる!」と言って、おままごと用のお皿を見せてくれました。なんとそこには、キレイな石や葉っぱに混ざって、摘み取られた桜の花が入っていたのです!!

しかしそれを見たとき、不思議なことに私はショックを受けるのではなく、とても嬉しい気持ちになりました。「桜の苗を買ってきたのは、この子に触らせてあげるためだったのか」と思ったからです。


 美しいものを見て触りたいと思うのは、人間の自然な感情であると私は思います。美術館であまりの絵の美しさに、無意識に手を伸ばしてしまったという話を聞いたことがあります。子どもたちもまた、美しいもの、素敵なものには無意識に手を伸ばしてしまうことがあります。よくお店で子どもが品物に触れてしまうのはこのためです。

 桜の花も美しいものですが、なかなか触れる機会はありません。外傷に弱いこともあり、どこか桜の木には触れてはいけない雰囲気があります。散った後の花びらも、すぐに地面に触れて汚くなってしまいます。

 ですから、桜の花を間近でじっくり鑑賞し、手に取り、美しいと思って宝物のお皿に入れて大事に持って帰ったということは、子どもたちにとって非常に有意義な学びの機会になったのではないかと思うのです。


 キリスト教を信じていると、自分の思惑とは別に働く神さまの御心を感じることがあります。自分の行いが思わぬ結果をもたらしたり、想定とは全く異なったもちいられ方をすることがあるのです。今回の桜の苗も、きっと神さまが子どもたちに桜の花を楽しんでもらえるように、私を通して用意なさったものだったのではないでしょうか。


📖聖句

「主の慈しみは世々とこしえに」 詩編103篇17節

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