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10月の園だより「学びを喜ぶちから」

以前、学習塾で教えていた時のこと、ときどき生徒に「先生、この勉強っていつ役に立つんですか?」と尋ねられることがありました。確かに、連立方程式も、大化の改新の年号も、アルタイル星の位置も、大人になってから一度も活用した覚えはありません。私はいつも答えに窮してしまっていたように思います。


目的が分からない過酷な労働をさせられること、これは人間にとって最も耐え難い責め苦の一つあると言われています。残酷な軍隊は捕虜に穴を掘らせ、次の日にその穴を埋めさせるという労働を毎日繰り返させるそうです。子どもたちからしてみれば、学校の勉強はこれに似ているように見えることでしょう。大人もその意義を答えられない知識を、延々と強要されるのです。勉強が嫌いな子が多いのは、必然なのかもしれません。


しかし一方で、知識が私たちの人生を豊かにすることも、また事実です。先日、サン=テグジュペリの『人間の大地』(堀口大学訳)という本を読んでいたときのこと、私は当初あまりにも内容が難しすぎて、少し読んで読み続けることをやめてしまいました。

しかし、たまたま別の出版社が出版した同じ本(渋谷豊訳)を手にする機会があったとき、私は別の本を読んでいるかのように、スラスラと読み進めることが出来ました。つまり、『人間の大地』という本の内容が難しかったのではなく、最初の本の日本語訳の質が悪かったのです。私はこの時、もし自分にフランス語の知識があって原文を読むことが出来たなら、より本来の感動を味わうことが出来ただろうと悔しい思いがしました。私には知識がなかったゆえに、人生を豊かにする機会の一つを取り逃がしてしまったのです。


フランス語を学ぶためには、言語の習得に慣れる必要があります。言語の習得に慣れるには、英語の学習が近道です。そして英語を学習するには、知らない言葉を話せるようになる喜びを知っていなければいけません。このように考えてみると、勉強が好きになるためには、「挑戦を楽しむ」というスキルが必要不可欠であることが分かるのです。


私たちの幼稚園では、子どもたちが自分自身の力で成長する機会を大変重んじています。一人一人の成長に合わせチャレンジを促しつつ、出来ることが増えたときには共に喜ぶのです。その結果、出来ないことが出来るようになる素晴らしさを、子どもたちは体験出来るようになるのです。


幼児教育がその後の人生に影響を与える所以は、まさにここにあります。「今、何が出来るか」ではなく「将来、挑戦を楽しむことが出来る」ために、小さな小さな種まきを、幼稚園の先生たちは今日も続けているのです。


📖聖句

「ハレルヤ。新しい歌を主に向かって歌え。」

詩編149編1節

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