おおい町にある「若州一滴文庫」に行った時のこと。創設者である作家の水上勉が、自身の幼少期の思い出を語っている映像を見る機会がありました。水上氏曰く、「自分は極貧の家に育ったので、食事は一匹の魚を家族で分け合って食べた。兄弟が5人もいたのでいつも不満だったけれど、今思い出してみると母は何も食べていなかった……。」遠くを見つめる水上氏の目は、子どもを優先する母の愛の大きさをなぞっているかのようでした。
日本人の価値観の中では、昔から「良い母親=我慢する母親」という方程式が成り立っています。この感性は今なお生き続けているようで、数年前ある絵本作家が作詞した『あたしおかあさんだから』という曲がネットで炎上したことがありました。その理由は「歌詞が自己犠牲を強要しているようだから」だそうで、あるコラムニストはこれを「母性という呪い」とまで表現していました。
確かに、子育ては子どもを最優先にしなければならないことがあるのは事実です。しかし「子どもが最優先」と「母親は犠牲になるべき」は、必ずしもイコールではないと私は思っています。たとえ現実的にはそうならざるを得ない局面があるにしても、それはあくまで改善の余地のあるベターな状況であって、美しく目標とすべきベストな状況ではないでしょう。
昨年度の末以来、朝日幼稚園のお誕生会では、園児だけなく職員の誕生日も祝うようになりました。これは私たちが定めたのではなく、園児たちの要望に応えて実現したものです。ある月のお誕生日会の時のこと、ひとつのクラスの子たちがにわかにザワザワし始めました。行って話を聞いてみると、「あのね、私たちの(担任の)先生も、今月お誕生日だよ。一緒にお祝いしたいよ。」と言うのです。
確かにその通りだ!と思い早速先生もお祝いしたところ、子どもたちは大喜びしてくれました。以来、私たちの園ではなるべく子どもも大人も一緒にお祝いするようにしています。
「私の分はいいから、お前が食べなさい……」といって我慢をする大人の姿は、もう過去のもの。これからは、大人も子どもと一緒に楽しみながら「おいしいね、楽しいね♪」と喜びを分かち合う関係を築いて行きたいと願っています。
📖聖句
「主の慈しみをとこしえにわたしは歌います。」 詩編 89編2節
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